乱聴
今日こんなものを聴いた。
「海と毒薬」遠藤周作
海と毒薬 海と毒薬
遠藤 周作 (1960/07)
新潮社
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日本人の心の本質をえぐる問題作

第二次世界大戦末期に実際に九州の一病院で行われた米兵捕虜を使った生体実験をめぐる人間模様。

この小説は前々から読みたいと思っていた。
神なき日本人というテーマに惹かれていた。
私もつねづね日本人の心の恐ろしさを感じていたためだ。

その上、たまたまこのあいだ宇多田ヒカルのHPをぼんやり見ていたら、彼女の好きな作家を挙げているページがあり、その中にこの「海と毒薬」があったのを発見し、私はますますこの小説に興味が湧いた。

宇多田ヒカルというのはたいへんな読書家で、日々大量の本を読んでいる。
あの若さで不思議なくらい深みのある歌を書くあの彼女の好きな小説。それはいったいどんな小説なのだろう、といった興味もあり、私は遂にこの小説を読んだ。

まず、この小説はほぼ実話であり、この生体実験にかかわった人間は戦後、アメリカによる軍事裁判によって処罰されたという事実がある。
戦争犯罪というのはいくら考えても正しい答えの出ない不条理なものだ。

戦争中に敵の人間をいくら殺しても犯罪にならないが、戦争が終わったあとに一人の人間を殺せば殺人罪に問われる。
戦争中にいっぺんに大量の敵を殺せば英雄だが、戦後に一人の人間を殺せば罪人だ。
戦争で勝った国はどれだけ敵国の人間を殺しても罪に問われないが、負けた国は戦争犯罪として罪に問われる。

すべての答えが正しいのか間違っているのかさえ分からなくなる。
それは戦争自体が犯罪行為であるゆえに、正しい答えなど出ようがない。

この小説の中で出てくる行為、つまり敵国の人間を生体解剖することというのは、たとえ戦争中であっても有罪なのか。
それならば敵国の人間を銃で撃って殺してしまえば軽い罪で、生体解剖して殺せば重い罪になってしまうというものなのか。
考えれば考えるほど、無理無理な答えしか出てこない。

しかしながら、この小説はそういった「法律上の」罪と罰について問題提起するような小説ではない。

いくら人を殺しても罪にならない異常な状況下における日本人一人一人の自分自身の罪と罰の意識を問うた小説だ。
つまり、人間の作った法律というものが無効になった状況下で日本人は何をもって罪と罰を意識するのか。また、すべきなのか。

キリスト教徒である遠藤周作は、なんの宗教も持たない人間の多い日本人という民族が、そういった戦争中の異常な法律無視の状況下ではもっとも恐ろしい民族になると見抜いている。

南京大虐殺の例を挙げるまでもなく日本民族のかつての戦争中における異常なる残虐性は、宗教のしっかりと根ざした国の人々から見ればたいへんな驚きであることは間違いない。

神も仏も無いと思っていれば、人間はどこまでも残酷になれる。畜生以下にもなってしまう。
それが人間の怖さ、恐ろしさ。

ただし、もう一考すべきは、広島、長崎に原爆を落としたのはキリスト教の国、神の国アメリカだという点だ。
神を信じる者とて、原爆投下という悪魔の所業に手を染めているのだ。
原爆こそが最大の残虐行為であるとする考えもまた正しい。

そこまで考えてくると、ただ宗教を持っていればいい、といった程度の浅い結論で済ますわけにもいかない。

今、私たち日本人は正しい宗教を信仰し、哲学を持った生き方をすることが必要なのだ。
「無宗教です」などと恥ずかしげもなく言える国民がこんなにも多い国は世界でも日本だけなのだそうだ。

なんの信仰もせずに生きる人間。この無気味なる国民。それこそが現代の日本人。

心の中に宗教に根ざした確固たる法律が存在しなければ、この小説に出てくる青年医師の戸田のように良心の呵責を感じることも出来ず、戸田の同僚の勝呂のように生体実験を断る理由さえ見つけられない。
この二人こそが現代の日本人の象徴ではないか。

この二人と同じ状況に置かれたら、君は断固として自分の心の、魂の法律に従って生体実験への参加を断れるか。
作者は読者にそんな厳しい問題を突き付けている。

現代日本の、若者が老人を平気で詐欺のえじきにし大金を巻き上げるような犯罪が頻発している世相を見ると、この国がひとたび戦争、つまり法律無視の世に巻き込まれでもしたら、どれだけ残酷な行為を日本人は行うのか、と不安になってくる。

心になんの宗教的哲学的倫理も、法律も持たない人間ほど恐ろしいものはいない。

テーマ:小説 - ジャンル:小説・文学

コメント
この記事へのコメント
遠藤周作の「海と毒薬」
歌手の宇多田ヒカルが、遠藤周作の「海と毒薬」を好きな作家の本としてあげていたとは、驚きました。
ブログのすごいところは、このようなとても一人なら知れない情報がわかることですね。宇多田ヒカルに対する印象が少し変わりました。
私の下記ブログも見て下さい。
http://blog.goo.ne.jp/petro2006/
2006/10/21(土) 21:56:17 | URL | 一粒の種 #-[ 編集]
コメントありがとうございます。
宇多田ヒカルのような若い女性がこの小説に興味を持ったのがいったいどういう理由からだったのかは、想像もつきませんが、彼女の、時に見せる(聴かせる)深い悲しみをたたえたようなせつない歌を聴いていると、たしかに彼女は、この「悲しみ」を体験している、と思わせるものがあり、どきりとさせられるのだ。しかし、実際の彼女はまだ20年しか生きてきていない若い女性だ。その歌の中には、大量の読書から得た疑似体験が、歌の糧になっていることは間違いない。
2006/10/21(土) 23:13:20 | URL | pin #mQop/nM.[ 編集]
日本に宗教が無いことを不気味という必要性は何一つ無いと私は思います。江戸時代から明治維新を経て日本人から宗教、日本文化が薄れていったことは確かであり、日本人一人一人に確固たる信念が存在せんが為に世間や周囲に流され(集団心理)倫理観に欠けた人間がいたことも確かです。しかし、ならば問わなければならない。果たして人間という生き物は宗教を持つことにより正しい倫理観を持ち正義に満ちて正しい行いをするのか。実際にしているか。人を殺してはいけない。物を取ってはいけない(義務論)。畢竟人間が作り上げたルール-善悪の確たる証拠も何も無い-であり、ならば人間から暴力を剥ぎ取れるのか。と無限の錯綜した哲学の世界に足を突っ込むこととなる。日本だけでなくどの国々も何百年前には戦争を繰り広げ、人を殺してきたが武士道をもった日本人の倫理観は野蛮で間違っているといえるか。、キリスト教の戦争に矛盾は無いのか。外国との接触も日本人の倫理的な衰退の大きな原因でもあり、キリスト教の神こそが人間の(間違った?)行為(それが本能的なものであっても)に歯止めをかけ日本人に絶対的にかけているものだとは考えにくい。責めるところが間違っていると思います。かつての日本人を無視していると見えるところがあります。
2008/07/09(水) 01:46:46 | URL | kkkk #YgKj3tPc[ 編集]
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