乱聴
今日こんなものを聴いた。
「ジョージ・マイケル〜素顔の告白」(WOWOW 10/18OA)
美しすぎる歌をバックに語られる最低の私生活

ワム!結成からソロとなり現在まで活動を続けるジョージ・マイケルの波乱に満ちた人生を、彼自身のインタビューと貴重なライヴ映像、テレビ出演時の映像などと共に時系列を追って振り返ってゆく迫真のドキュメンタリー映画。
もちろん彼のヒット曲が全編に流れる極上のエンターテイメント映画でもある。

ジョージ・マイケルは1998年の例のトイレ事件に始まって、ゲイのカミングアウトや、つい最近では大麻所持による逮捕など何かすっかりスキャンダラスなイメージが付いてしまったが、彼の創り出す音楽は相変わらず美しい。

この映画の中でも彼の数々のヒット曲が流れているが、どれもこれもとにかく透明感があって、声がきれいで、そのすべすべの肌触りというか耳あたりの良さはやはりすごいと思わせるものがある。
こういう「すべすべした音」というのは昔、いろいろなアーティストをプロデュースしていたクインシー・ジョーンズが得意だったが、最近の音楽シーンではあまり無くなった感じがする。
声も個性的な声の人はたくさんいるが、ジョージ・マイケルほど、にごり無く、高音の伸びる美声を持ったアーティストもなかなかいなくなった。

ところで私は、好きなアーティストのプライヴェートなんて知りたいと思わないし、知りたくもないといつも思っている。
エルトン・ジョンの美しい曲が好きだが、彼が男と結婚した事とか知りたくもない。歌がよければ、その歌う人の私生活がどうであろうと構わない。
その人の歌がすごく愛に満ちた美しい歌を聴かせてくれて酔わせてくれたら、それだけでいい。
実際のその人が私生活では最悪の性格をした人間だろうと関係ないのだ。
それなら、いっそ私生活など知らない方がいいではないか。

だから、ジョージ・マイケルがこうやって自分の私生活を赤裸々に語る映画を創ったとしても、じつのところ私はそんなに興味があったわけではない。
ただ、彼の場合、無垢なほどに美しい彼の歌と、私生活での最低の事件とがあまりにギャップが大きすぎるという点で、それがなぜなのか知りたいと思ったことはたしかだった。

そして映画を観て感じたのは、ジョージ・マイケルの非常にこわれやすいナイーブな性格が災いを招いてしまったということが分かる。

彼の一連のレコード会社とのトラブルは、要するにスーパースターとしての生活、職業ミュージシャンとしての生活に耐えられない彼のナイーブな性格がもたらしたもので、決してわがままを押し通そうとした結果ではないことが分かる。

90年代からアメリカの音楽シーンがアイドル全盛の子供向けの低レベルのものになってしまったのも、ジョージ・マイケルのようなアーティスティックなミュージシャンをどんどん排除してきた結果だったということもよく分かる。

ヨーロッパではアメリカほど毒された音楽業界ではないためかジョージの人気は健在だが、アメリカでは、彼のようなまったく販促もしない、ツアーもやらないという、規定のルールからはずれたアーティストは、それだけで業界全体からはずされてしまうようなシステムになってしまっているのだろう。
しかしそういったシステマティックな大量生産を続ける音楽業界が、どんどん音楽を画一化したものにし、つまらなくしていることにアメリカは早く気付くべきなのだ。

70年代の、様々な驚くべき個性や才能が花開いていた華やかな音楽シーンは、アメリカにはもう戻ってはこないのだろうか。


テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽

「ミュージックステーション」(テレビ朝日 10月27日OA)
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日本語がちゃんと発音できるヴォーカリスト

日本の音楽番組の多くはガキばかりが出ていてつまらないものが多いが、この「Mステ」は、時々いいアーティストが出ることがあったり、海外から来日中のアーティストが出ることも少なくないので、たまに観ることにしている。

この日は、話題のサディスティックミカバンドと来日中のファーギーが出演するというので観てみた。

サディスティックミカバンドはとっくにもう消滅したバンドだと思っていたら、なんと木村カエラをメインヴォーカルに突如復活。ニューアルバムも2、3日に発売された。

生で彼らの演奏を観るのは初めてだったが、これはかなりイイ。

演奏の前のタモリとのインタビューの中で、加藤和彦が木村カエラをヴォーカルに選んだ理由として「日本語がちゃんと発音できる」という事を言っていたところが面白かった。
これは私も日頃いつも思っていたことで、桑田佳佑やミスチルの桜井に代表されるような変な日本語の発音は聞き苦しいし、みっともない。
いくら曲がよくても、気に入らない。美しくない。
加藤和彦よくぞ言ってくれたと思った。
それにしてもハーフである木村カエラが、正しい日本語の発音をするからとヴォーカルに選ばれるとは、日本の若いアーティストよ、もうちょっと日本語の発音くらい勉強しろよ。

それはさておき、このグループのメンツはすごい。今や大御所級のアーテイストばかり。
元YMOの高橋ユキヒロのドラムもすごければ、高中正義のギターも相変わらずうまい。
これだけ強力なバックに囲まれても、木村カエラはじつに堂々とした歌いっぷりで、声もよく出ていて素晴らしいですねえ、やっぱりこのコの声は。


ファーギーはブラックアイド・ピースの女性ヴォーカルで、初のソロアルバム
を出したところ、一気に時の人となった。

この日歌った「London Bridge」もFMでずいぶん何回も耳にしたけれど、こうやって生で観て聴くと、迫力が違う。
このなんとも言えないくねくね感というかセクシャルでちょっとアブナイ雰囲気、アクの強さは、やっぱりアメリカでいかにも人気が出そうなキャラクターだ。
曲もちょっと変わってて面白い。


テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽

「Souvenir Mariya Takeuchi Live」竹内まりや
Souvenir〜Live Souvenir〜Live
竹内まりや (2000/11/22)
ワーナーミュージック・ジャパン
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曲目
1アンフィシアターの夜
2家に帰ろう
3Forever Friends
4マンハッタン・キス
5五線紙
6元気を出して
7カムフラージュ
8プラスティック・ラブ
9駅
10 リンダ
11 不思議なピーチパイ
12 セプテンバー
13 J-Boy
14 Let It Be Me
15 Closing〜純愛ラプソディ(Instrumental)

伝わってくる緊張感と臨場感

18年ぶりのライヴということもあって、竹内まりやの緊張感がこちらまで伝わってくるようなリアルな音のライヴ盤だ。
CDでの山下達郎氏による緻密な音とは違い、ライヴではその瞬間瞬間に音が生まれ、ハーモニーが生まれてくるというスリルがある。

18年ぶりという緊張感の中で、ひとつひとつ慎重に正確に歌おうとする竹内まりやと、CDのクォリティに近い完璧な演奏を目指すバックの演奏。
CDにはない微妙な音のずれや、ヴォーカルのちょっとしたアドリブがライヴならではの面白さだ。

別人かと思わせるほど低い声の#1や、CDよりも情感豊かに歌う#9など、完璧に演奏することももちろん目指しながらも、意外性や勢いもあって、ライヴの雰囲気がよく伝わってくるアルバムだ。

アンコールでアイドル時代の歌を歌う竹内まりやは、使い捨てにされるアイドルから見事にアーティストとして復活し、そして勝利した唯一無二の存在ということを、あらためて私達に感じさせてくれる。


テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽

「デューク・エリントン ベスト・セレクション」
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BEST SELECTION / デューク・エリクソン

曲目
1A列車で行こう
2アイ・ガット・イット・バッド
3パーディド
4ムード・インディゴ
5黒と茶の幻想
6ソリチュード
7ムーチ
8ソフィスティケイテッド・レディー
9クリオール・ラブ・コール
10 イスファハーン
11 アドリブ・オン・ニッポン
12 ロータス・ブロッサム
13 デイ・ドリーム

時代を超える美しい音楽

デューク・エリントンが偉大な音楽家であることはもちろん昔から知識として知ってはいたが、私はどうしてもジャズというジャンルの音楽があまり得意ではなく、あのライヴで聴かれる永遠に続くかと思われるようなアドリブ演奏が好きになれなかった。

メロディーがはっきりしない、歌がない、というのが駄目で、ほとんど今までジャズのレコードで自分にぴったりとくるというものはなかった。

わずかにマイルス・デイヴィスの「ドゥー・バップ」といった限られたレコードやビリー・ホリデイの歌くらいが私とジャズとの接点だった。

しかし、このデューク・エリントンのCDはすごく良かった。

そんなに分かりにくくないし、メロディーのはっきりとした美しい曲が多かったからだ。
時々、耳にする#1がワルツで始まる曲だったとは知らなかったから、すごく粋(いき)で新鮮に耳に響いた。
#7のなんとも言えない妖しげなメロディー、リズム、パーカッションの使い方もかっこいい。

全体的に不思議な雰囲気の曲や意外性を感じさせる曲展開を見せる曲もあって、決して普通っぽい曲ではないのに、音はすっきりとしていてPOPで耳に心地よい。
いかにもハーレムの雰囲気が伝わってくる下世話で混沌とした音世界なのに、あくまで上品で粋なのだ。

こういう古いレコードを聴くと、ジャズは本来もっと分かりやすく、シンプルなものだったのだと思わせてくれる。
#12のような美しいメロディーはいつの時代でも誰が聴いても美しいと感じるはずだ。

現在、ジャズのインストゥルメンタル曲がシングル・チャートの1位になるようなことがまったく無くなってしまったのは、一部のマニア向けの音楽になってしまったからだ。


テーマ:ピアノ - ジャンル:音楽

「海と毒薬」遠藤周作
海と毒薬 海と毒薬
遠藤 周作 (1960/07)
新潮社
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日本人の心の本質をえぐる問題作

第二次世界大戦末期に実際に九州の一病院で行われた米兵捕虜を使った生体実験をめぐる人間模様。

この小説は前々から読みたいと思っていた。
神なき日本人というテーマに惹かれていた。
私もつねづね日本人の心の恐ろしさを感じていたためだ。

その上、たまたまこのあいだ宇多田ヒカルのHPをぼんやり見ていたら、彼女の好きな作家を挙げているページがあり、その中にこの「海と毒薬」があったのを発見し、私はますますこの小説に興味が湧いた。

宇多田ヒカルというのはたいへんな読書家で、日々大量の本を読んでいる。
あの若さで不思議なくらい深みのある歌を書くあの彼女の好きな小説。それはいったいどんな小説なのだろう、といった興味もあり、私は遂にこの小説を読んだ。

まず、この小説はほぼ実話であり、この生体実験にかかわった人間は戦後、アメリカによる軍事裁判によって処罰されたという事実がある。
戦争犯罪というのはいくら考えても正しい答えの出ない不条理なものだ。

戦争中に敵の人間をいくら殺しても犯罪にならないが、戦争が終わったあとに一人の人間を殺せば殺人罪に問われる。
戦争中にいっぺんに大量の敵を殺せば英雄だが、戦後に一人の人間を殺せば罪人だ。
戦争で勝った国はどれだけ敵国の人間を殺しても罪に問われないが、負けた国は戦争犯罪として罪に問われる。

すべての答えが正しいのか間違っているのかさえ分からなくなる。
それは戦争自体が犯罪行為であるゆえに、正しい答えなど出ようがない。

この小説の中で出てくる行為、つまり敵国の人間を生体解剖することというのは、たとえ戦争中であっても有罪なのか。
それならば敵国の人間を銃で撃って殺してしまえば軽い罪で、生体解剖して殺せば重い罪になってしまうというものなのか。
考えれば考えるほど、無理無理な答えしか出てこない。

しかしながら、この小説はそういった「法律上の」罪と罰について問題提起するような小説ではない。

いくら人を殺しても罪にならない異常な状況下における日本人一人一人の自分自身の罪と罰の意識を問うた小説だ。
つまり、人間の作った法律というものが無効になった状況下で日本人は何をもって罪と罰を意識するのか。また、すべきなのか。

キリスト教徒である遠藤周作は、なんの宗教も持たない人間の多い日本人という民族が、そういった戦争中の異常な法律無視の状況下ではもっとも恐ろしい民族になると見抜いている。

南京大虐殺の例を挙げるまでもなく日本民族のかつての戦争中における異常なる残虐性は、宗教のしっかりと根ざした国の人々から見ればたいへんな驚きであることは間違いない。

神も仏も無いと思っていれば、人間はどこまでも残酷になれる。畜生以下にもなってしまう。
それが人間の怖さ、恐ろしさ。

ただし、もう一考すべきは、広島、長崎に原爆を落としたのはキリスト教の国、神の国アメリカだという点だ。
神を信じる者とて、原爆投下という悪魔の所業に手を染めているのだ。
原爆こそが最大の残虐行為であるとする考えもまた正しい。

そこまで考えてくると、ただ宗教を持っていればいい、といった程度の浅い結論で済ますわけにもいかない。

今、私たち日本人は正しい宗教を信仰し、哲学を持った生き方をすることが必要なのだ。
「無宗教です」などと恥ずかしげもなく言える国民がこんなにも多い国は世界でも日本だけなのだそうだ。

なんの信仰もせずに生きる人間。この無気味なる国民。それこそが現代の日本人。

心の中に宗教に根ざした確固たる法律が存在しなければ、この小説に出てくる青年医師の戸田のように良心の呵責を感じることも出来ず、戸田の同僚の勝呂のように生体実験を断る理由さえ見つけられない。
この二人こそが現代の日本人の象徴ではないか。

この二人と同じ状況に置かれたら、君は断固として自分の心の、魂の法律に従って生体実験への参加を断れるか。
作者は読者にそんな厳しい問題を突き付けている。

現代日本の、若者が老人を平気で詐欺のえじきにし大金を巻き上げるような犯罪が頻発している世相を見ると、この国がひとたび戦争、つまり法律無視の世に巻き込まれでもしたら、どれだけ残酷な行為を日本人は行うのか、と不安になってくる。

心になんの宗教的哲学的倫理も、法律も持たない人間ほど恐ろしいものはいない。

テーマ:小説 - ジャンル:小説・文学

「ザ・フェイセズ&ロッド・スチュワート」(NHK-BS2 10月14日OA)



ソリッドなロック・サウンド

いやぁ、この映像はよかったですねぇ。
私はフェイセズの名前こそは知っていたけれど、活動している頃はまだ洋楽を聴き始めていなかったのでまったく記憶にないバンド。
ロッド・スチュワートとロン・ウッドが同じような髪型をして並んだ写真くらいしか見たことがなかったから、この動く映像というのは生まれて初めて観ました。

ロッドはソロになってからは、フェイセズの頃の方がよかった、といつも言われ続けていて、ソロになってからのロッドはやれ太った、だの、軟弱になった、だの散々な言われ方をされてきた。
私はソロのロッドしか知らなかったし、ソロになってからのファンだったから、いつまでも古くさいロック・ファンにそんな言われ方をする彼が可哀相にさえ思っていた。

しかし、このフェイセズの映像を観て、正直これはやっぱりフェイセズというのはかっこよかったんだなあ、と思った。
そしてフェイセズのリードシンガーとしてのロッドはかっこよかった。

これはロン・ウッドのかっこよさが関係していると思った。
あのくらいかっこいいギタリストもなかなかいない。
ロン・ウッドとロッドのなんとも言えない自由な動きが、かっこいい。

ミック・ジャガーがロン・ウッドをストーンズに引っ張ったのはそれが理由だろう。
もちろんロンのギタープレイにも惚れただろうが、絵的に自分をキース・リチャーズとロン・ウッドがはさんでギターをかき鳴らす、といった絵にミックは魅力を感じたに違いない。

ロッドはロン・ウッドをミック・ジャガーにとられたのは大きかった。
フェイセズを解散してソロになったロッドは、ロンを得たローリング・ストーンズと比較すると、ロック好きからずいぶんと嫌われる存在となってしまった。

そんな話はいいとして、このフェイセズのライブ素晴らしかった。
音がすごくソリッドで、スピード感があって、無駄な音が無くて、本物のロック・サウンドという感じだ。
この乾いた音の感触に比べると、この番組の後半に放送されたロッドのソロコンサートの音は、無駄な音が多く、もって回ったような印象をやっぱり受けてしまう。

テーマ:洋楽 - ジャンル:音楽

「モダン・タイムズ」ボブ・ディラン
モダン・タイムズ(初回生産限定盤)(DVD付) モダン・タイムズ(初回生産限定盤)(DVD付)
ボブ・ディラン (2006/08/30)
ソニーミュージックエンタテインメント
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曲目
1Thunder On The Mountain
2Spirit On The Water
3Rollin' And Tumblin'
4When The Deal Goes Down
5Someday Baby
6Workingman's Blues
7Beyond The Horizon
8Nettie Moore
9Levee's Gonna Break
10 Ain't Talkin'

驚くほどの「新しさ」

ここ2作ほどで、いく度目かの黄金時代を迎えている感のあるディランだが、本作品もまた期待を裏切ることのない素晴らしい内容のものとなった。
それを証拠づけるように、このアルバムはビルボードに1位で初登場。全世界で絶賛を受けている。

近年のディランは、無理に新しいスタイルに手を出すことを避け、アメリカの過去のポップ・ミュージック(もちろんディラン自身の歌も含まれる)の遺産の良いところだけをうまく取り入れ、そしてそれを自分の音楽世界の中で消化し再生産する、といった作業に入ってきたともとれる。

しかしながら、そのことは決して進化を止めてしまったこととは異なる。
それは、ここ最近の作品を聴いてみると感じる、驚くほどの「新しさ」や「新鮮さ」にある。

このアルバムでもチャック・ベリー風のロックン・ロールに始まり、マディ・ウォーターズ風のシカゴ・ソウル、古き良き時代のアメリカン・ポップスやワルツ、ハワイアンといった、いつの時代でも愛される音楽をやっていながらも、どの曲も独特のディラン流にアレンジし、ひとくせもふたくせもある音楽にしているところがすごい。
それが出来るのも、深みのあるユニークな歌詞と枯れた味わいを増した歌唱と演奏があってのことだ。

ディランの歌詞は文字数が多く読むのがたいへんだが、いつも、ところどころにくすりと笑わせてくれるようなユーモアがあるところが好きだ。
本作でも、#1でいきなりアリシア・キースが出てきたり、#9で「猫の服を着ろよ、ママ…」なんて歌詞が出てきたりして相変わらずだが、ただ全体的にはこのアルバム、静かな終末感とか、平穏な悟りのような雰囲気が覆っていて、いろいろと考えさせる。
ディランの詩というのは作りが巧みでリズムがあるので、思わず引き込まれてしまう。

ディランのヴォーカルはどんどん声が出なくなり枯れてきてはいる。
本作でのヴォーカルもさらに枯れた感じになってはきているが、なぜか彼の歌にはこの声がいちばん合っている。
決してパワーが落ちていることはなく、逆に凄みがどんどん増してきている。
最近のディランは「良い音楽」、聴いて「良い音楽」と人が感じる音楽だけを創ることに重きを置いている。

昔から長い間、人々に歌い継がれてきている音楽こそが「良い音楽」であることは明白なのだ。
そういう音楽を選び、新しい形で私たちに見せて聴かせてくれる最近のディランの音楽というのは、やっぱりスゴイ。

テーマ:洋楽CDレビュー - ジャンル:音楽

「フォークの達人 三上寛」(NHK-BS2 10月6日OA)
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徹底した「変なうた」

三上寛のファンというわけではない。彼の歌で何となく聞いたことがあるのは「夢は夜ひらく」という歌と、たしか吉野家の牛丼が出てくる「なかなか」とかいう歌(?)くらいのものか。もちろんCDで聴いたこともない。
しかし、なんとなくそういった歌が面白かったことと、ずいぶん変な歌い方だったのようなことも憶えていて、なんとなく心に残っている人だった。

そんなきっかけで、この放送を観てみようと思ったのだが、これがなんとも、ある意味すごいライヴであった。

青森のライヴハウスでたった数十人くらいの観客を前にして、ほとんどエレキギター1本で三上寛は歌う。
歌う歌は、歌う歌、歌う歌、どれもこれも「変なうた」だった。
また、その歌い方もやっぱりかなり変だった。

「オートバイの失恋」とか、通常の発想では考えつかないような変な歌詞の歌の数々を次々と変な発声で歌う。

今どき、このくらい次から次へと「変なうた」を歌える人は珍しいのではないかと思った。

フォークではあるが、その「違和感」「しっくりこない感」というのは、むしろロック的だ。
ロックは黎明期、誰もが「激しい違和感」を感じたものだが、現在ではそれが普通になってしまっている。
そう考えてみると、この三上寛の音楽というのも、今だアヴァンギャルドというかアンダーグラウンドではあるが、裏を返せば、何かひとつのきっかけでもあれば、逆に大ブレイクしないとも限らないのではないかとも思った。

私が思ったのは、誰か歌のうまい人が一曲、三上寛の曲をカヴァーしてみたら面白いのではないかということ。
三上寛自身が歌う彼の歌は、あまりにも「変な」歌い方とギター一本という貧弱な伴奏だ。
これでは売れにくいと思う。
いいプロデューサーをつけて、そういうカヴァー企画をしても面白いのに、などと私は思ったが、きっと今までにもそういう話があったのを、頑固そうな彼のことだ。断ってしまったのかもしれない。

ただ、たしかに売れなさそうな「変なうた」ばかり創る人ではあるが、その特異な才能自体はすごいものがあると感じた。

「東京湾景」吉田修一
東京湾景 東京湾景
吉田 修一 (2006/06)
新潮社
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この小説は私が今まさに住んでいる地域が舞台になっていたので少し興味をもって読み始めた。
この話に出てくる御楯橋や高浜運河、海岸通り、レインボウブリッジ、品川埠頭、天王州アイルといった地名は日常いつも私が通り過ぎたり目にしたりしているおなじみの場所で、いったいこの街、このシチュエーションの中でどういった恋愛小説が展開してゆくのか非常に楽しみだった。

ところで、私がこの街つまり品川駅の港南口側の地域に引っ越してきたのはちょうど10年前で、その頃がちょうど品川の再開発が開始されて間もない頃だった。
まだこの小説にも書かれた当時(2003年)よりもさらに「倉庫街」のなごりのある風景の街だった。
主人公の亮介の通う古びた銭湯「海岸浴場」も実在していた。
10年間でこの街は大変貌を遂げた。
亮介の住むようなおそらく低層の5階建てくらいのアパートは次々と取り壊され、高層のマンションに造り替えられた。
海岸浴場も建物もろとも取り壊された。
きっと今では亮介のアパートも壊されて無くなっているかもしれない。
そんな過渡期のこの地域を舞台にしたのがこの小説だ。

この小説で若い男女が知り合うきっかけはインターネットであることに私はすごく納得がゆく。
この地域はマンションばかりが建築されたが、商店や公園などがいつまでたっても出来てこない。コンビニが少しずつ増えてきただけだ。
だから、住んでいる人間どうしがふれあう機会も少ない。
近所に誰が住んでいるのかほとんど分からないような街だ。
若い男女が知り合う機会も少ない。
インターネットはそういう障害を軽々と超えるツールだ。

亮介の仕事はフォークリフトの運転で、相手の美緒はお台場で働くOL。
この対称的な見せ方も面白い。
品川の港南側からは海の向こうにいつもお台場が見える。
男と女、品川埠頭とお台場、そういった対称的なものの交わりやすれ違いといったものが、この小説にはずっと流れていて、何かそれが読んでいてもどかしい。

そして、さらに言えば、読んでいる自分とこの小説の主人公の歳の差も大きくて、それもまた読んでいてもどかしかった。
若い青年と女性の恋愛というのはこういうものなのか、と私はまたも思ってしまうのだった。

つまり簡単に言ってしまえば、若い頃は、ちょっとしたきっかけで恋愛の相手などどんどん取り替えていくものなのか、そして、それが当たり前のことなのか、という疑問だ。
それがいいことなのか悪いことなのか、ここで私が答えを出す気はないが、善悪は別として私ももっとこういう小説を若い頃にたくさん読んでいれぱ人生も変わっていたのかなあ、なんてばかなことを考えてしまうのでした。


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