
何日も前から楽しみにしていたザ・ピーナッツの特集番組を観た。
ピーナッツは私が小学生の時に解散してしまったデュオなので、リアルタイムでしっかりと彼女たちの歌を聴いた記憶がなく、歌手としての彼女たちのことはあまり知らないでいた。
それが最近になって、なんとなくCDで「ザ・ピーナッツ全曲集」のようなものを聴くことがあり、そこで初めて私は、歌手、アーティストとしてのザ・ピーナッツというデュオのスゴさ、素晴らしさに気付くことになった。
ピーナッツの歌はどれも素晴らしく、その歌唱力、ハーモニーは他の追随をまったく許さないほどに圧倒的にレベルが高い。
この番組での貴重な映像の中で歌う二人の歌唱も圧倒的に素晴らしく、これほどにうまい歌手・デュオは今、日本には一人もいないだろう。
特にスローバラードでの声の強弱の付け方や、ぴたりと揃った美しいハーモニーが絶品で、そのあまりの素晴らしさに観客が曲の途中でも拍手を送っているのがわかる。(!)
この番組では時代ごとの代表曲のほとんどが貴重な映像と共に聴けて楽しかったが、私の好きな「指輪のあとに」が出てこなかったのが少し残念だった。
彼女たちの活動年数は16年で、その間にエド・サリヴァン・ショーにも出るなど海外でも認められるほどにその名声は高まったが、引退してからは一切、芸能界から姿を消してしまう。
彼女たちの完璧なハーモニーを聴くと、おそらくピーナッツの二人は16年間に渡って常に完璧なものを求めてやってきたことは明らかだろう。
15年目ころから二人は引退を考え始めたというのは、女性の人生として仕事より結婚を選んだといった単純な理由よりも、もっと音楽的に何か二人はもう限界のようなものを感じ始めていたのかなあ、という気がしてならない。
それは、引退後、再びカムバックしたりナツメロ番組などに出たりして、衰えた歌唱を披露するようなことを一切いさぎよしとしない厳格なまでの姿勢に現れていると思うのだ。
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この小説は、三島由起夫が作家として初めて文壇に認められるきっかけとなった作品で、歴史的にも大きな意味を持った作品と言われており、評価も高い。
が、私はこの小説を初めて読んで、その内容のあまりのすさまじさに、いったいどういう評価を下したらいいのか迷っている。
私はこの小説のどの部分が素晴らしいのか、どの部分が優れているのか、正確に探り当てる自信がない。
ただ、まず第一に読み手にショックを与える小説であることはたしかだ。
この小説の書かれた時代を考えてみれば、発売当時は現代に比べものにならないくらい、世間や文壇にショックを与えたことは間違いない。
こういう世界もあるのだ、と読み手に興味と好奇心を抱かせ、どんどんと読ませてしまうという意味では、この小説はすごいし、戦後5年くらいの時期にこれを書いていた三島という人間もすごいと思う。
がしかし、読み手にショックを与えるというだけで、または、そういう小説を書いてしまったという事実だけで評価されるほど世間や文壇は甘くないはずだ。
ならば、どこにこの小説の優れた点を見出したらいいのか。
そう考えたらやはり、この異性を愛することのできない主人公の詳細な心理描写に評価を下すべきなのだろう。
「なのだろう」というのは非常に無責任な書き方だが、どうしても自分には、この小説が「すごい」とは思うが「優れた」ものには思えないからだ。
読む者をとことん不快にする、リアルでむなくその悪くなるような内容にこそ、きっとこの小説の価値があると考えるべきなのだろう。
人間の心理というのは不思議なもので、この小説にあるような「不快な世界」というものを目にしたくない、と思う反面、好奇心から、それを見てみたい、と思ったり、挑戦してみたい、と思う欲望もあるものだ。
そういった人間心理を突き動かすところに、この小説の異常な力を感じるのだ。
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「ベッドタイムアイズ」を読んで、少し失望していたのに、なぜか山田詠美の本をもうちょっと読んでみたい気がしていた
この「ぼくは勉強ができない」は、ああ言えばこう言う、こまっしゃくれた高校生の男の子、秀美を主人公にした話だ。
母親と祖父との3人で暮らす秀美の家は、貧乏だが明るい家庭だ。
セックスや恋愛の話もあからさまに3人で話しあえるほどオープンな親子関係だ。
そういう話が普段の会話の中で話せる家庭というのは、現実の世界ではそう多くはないと思うが、どうなのだろう。
もし自分の家が、そういう話を平気でべらべらしゃべられるような家庭ならば、きっと家にいることも楽しいと思うはずだ。
秀美は、学校でも平気で先生に口ごたえして、先生の怒りを買ってばかりいるが、そういう高校生というのも、現実にはそうはいないものだ。
つまり、この秀美という高校生、現実の世界で色々な言いたい事も我慢して生きている私たちが、じつはなってみたいと思う人間のタイプなのかもしれない。
私の感覚からすると、この秀美という子供、現実に自分の近くに、もしいたとしたら、きっとうっとおしく感じるタイプの子供だ。
それは、この秀美のように思った事をすばやく相手に言い返せるような饒舌な人間に対する嫉妬からくる不快感とか、倫理的にこういう人間が偉くなったり得したりする事が許せないと思ってしまう自分の倫理観などからくるもので、とにかく、こういう子供が私は嫌いなのだ。
また、こういう人間に対して、この本に出てくる秀美の学校の高校教師のように、自分も恐怖心も抱いてしまうはずだ。
自分はやっぱりどちらかというと真面目すぎる人間なのだろう。
秀美のような人間が昔からあまり好きになれないのだが、それでいて、彼のうちのちょっとした一部分(饒舌な部分など)に憧れてしまう事もたしかなのだ。




