乱聴
今日こんなものを聴いた。
「クリスティーナ・アギレラ・ライブ」(3/17OA. WOWOW)
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ものすごい迫力のライブでした。
現代の音楽シーンでここまでばりばりに力いっぱい歌う白人女性シンガーって、ほかにいるだろうか。
というか、ここまで力いっぱい歌う白人女性シンガーって、今までにいただろうか。

今、私はジャニス・ジョプリンくらいしか思い浮かばないのだが、この二人はまったくタイプが違っている。
ジャニスのヴォーカルは彼女自身の人生からにじみ出るようなR&Bあるいはブルースの精神が宿っていて、一種病的なほど凝縮されたどろどろとした情念のようなものが感じられるものだった。
それに対してアギレラのヴォーカルはスタイルとしてはジャニス以上に忠実なR&Bのヴォーカル唱法だが、まったくその歌には病的なところが感じられない。
むしろ健康的でヘルシーだ。

かつての黒人の女性ヴォーカルで探せば、(アイク&)ティナ・ターナーあたりがいちばん近いのかもしれない。
このライブでのソウル・レビューを思わせるようなたたみかけるようなスピード感と、どこまでも届きそうなパワフルなヴォーカルは今までの白人女性ヴォーカルのステージでは決して観たことがないようなものだ。

そのあまりの迫力に、観客なんかほったらかしにされているようにさえ感じることもある。
こういうライヴというのは、そういえば昔のドナ・サマーの絶頂期のライヴなんかがこんな感じだったのを憶えている。
あまりに声がよく出過ぎてしまう。
あまりに演奏が切れ過ぎて、ものすごいスピードになってしまう。
とにかく、まわりの空気から何からすべてを切り裂いていってしまうような迫力。
観客はその切れ過ぎる音についていくのでせいいっぱいになる。

今のアギレラは、とにかく何から何まですごい。
名曲がどんどん出来てしまうし、声がどこまでも出てしまう。
美貌もどんどん増してきている。
そのまばゆいばかりの若さと美しさですべてを吹き飛ばしてしまうくらいの迫力だ。

このオーストラリアでのステージもオープニングから最後まで息つく間もないくらいのパワフルな力技で押し通している。
この現代のアギレラのステージ、たしかに素晴らしいが、ただひとつ私が感じたのは、最近のアギレラの歌というのは彼女の年齢にしては少し成熟し過ぎたものが多すぎやしないか、という点。

デビューシングルの「ジニー・イン・ア・ボトル」のような等身大の歌があまりなくなってしまったような感じもしているのだ。
もちろん今の若さあふれるパワフルなヴォーカルもいいが、私は彼女が40歳くらいになってからのヴォーカルが楽しみでならない。
今、彼女が歌っている曲というのは40くらいの少し貫禄のある女性ヴォーカリストが歌ったらいちばんぴったりくる。

アギレラが40くらいになってから歌う「レディ・ママレード」は絶対に今よりもいいに違いないと思ってしまうのだ。

テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽

バック・トゥ・ベーシックス/クリスティーナ・アギレラ
バック・トゥ・ベーシックス バック・トゥ・ベーシックス
クリスティーナ・アギレラクリスティーナ・アギレラ feat.スティーヴ・ウィンウッド 他 (2006/08/09)
BMG JAPAN
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「Back To Basic」クリスティーナ・アギレラ
曲目
Disc2
1イントロ(バック・トゥ・ベーシックス)
2メイクス・ミー・ワナ・プレイ
3バック・イン・ザ・デイ
4エイント・ノー・アザー・マン
5アンダースタンド
6スロウ・ダウン・ベイビー
7オー・マザー
8F.u.s.s.
9オン・アワ・ウェイ
10 ウィズアウト・ユー
11 スティル・ダーティー
12 ヒア・トゥ・ステイ
13 サンキュー(デディケーション・トゥ・ファンズ)

Disc2
1エンター・ザ・サーカス
2ウェルカム
3キャンディマン
4ナスティ・ノーティー・ボーイ
5アイ・ゴット・トラブル
6ハート
7マーシー・オン・ミー
8セイヴ・ミー・フロム・マイセルフ
9ザ・ライト・マン
10 (エンハンスド)バック・トゥ・ベーシックス (Bonus Video)

「1920〜1940年代」の空気を現代によみがえらせた一大コンセプトアルバム

クリスティーナ・アギレラの今度の新作はアレサ・フランクリンもぶっ飛ぶくらいのスゴい「ヴォーカル」アルバムだ。

2枚組の大作となった本作品は、全編「1920〜1940年代」という明確なコンセプトをつらぬいた創りになっているのが特徴だ。
アルバムジャケットからインナースリーブの写真、CDの盤面に至るまですべて徹底して1920〜1940年代風に創りこんだデザインで統一されている。
マリリン・モンロー風ともマレーネ・デートリッヒ風とも見えるファッション、化粧、髪型を施したクリスティーナ・アギレラの写真の数々は、まるで、ひと昔前の安っぽいグラビア雑誌のようだ。

そして肝心の音の方だが、こちらも見事に「1920〜1940年代」の空気を、アギレラが全身で歌いきり表現しきっている。
「1920〜1940年代」がコンセプトといっても、このアルバムは決してその時代の曲のカヴァー集ではなく、全曲アギレラ自身がライティングにかかわって創り上げたオリジナル曲集だ。

アギレラいわく、「1920〜1940年代」のソウル、ブルースというのは「ファン・ミュージック」(心が楽しくなる音楽)といって、聴く者を幸せにする音楽であった。
その頃の、聴いててわくわくするような熱くエモーショナルな音楽を彼女は現代に蘇らせたかったようだ。
たしかに#4のようなストレートな曲を聴くと、人間というのは無条件に体が動き心が踊り幸せな気分になれるようだ。

現代という時代は、録音技術が向上し、楽器の種類も、出せる音の種類も増えはしたが、それだけで人間の心を楽しくさせてくれるような音楽がたくさん創れるようになったかというと、決してそんなことはなく、むしろ逆のような感じすらする。
無条件に人々が楽しめる音楽(ファン・ミュージック)が減ってしまったという感じがする。

このアルバムのひとつひとつの曲というのは、現代の最高の録音技術を駆使して、わざわざ音を歪ませたり、ノイズを入れたりしているところが面白い。
そうすることによって、60〜70年前のような音の雰囲気を出している。
それは言い換えれば「手作り感」のようなもので、そうすることによって、音楽が人間、庶民の感覚に近付いてくるのだ。
庶民のもとにポピュラー・ミュージックを取り戻すためのこういった作業がこのレコーディングでは永遠に続けられたのだろう。

もちろん現代気鋭のヒップホップ系のプロデューサー(DJプレミア)も起用し、細かいところでは巧みに現代の音も盛り込んではいるが、聴いた感じ、ほとんど生音のように聴こえる感触がある曲ばかりだ。
なんとなく響きが悪く薄っぺらく聴こえるホーンの音を使った曲、モノラルのように奥行きが足りないストリングスの音を使った曲、エコーのまったくかかっていないヴォーカルの曲など。
すべての音、ひとつひとつの音にまで「1920〜1940年代」風をこだわりぬいたアルバムだ。

一曲一曲にあらゆる工夫をこらしたDisc1といい、全曲リンダ・ペリー&アギレラ作で彩られたDisc2のまるで場末のキャバレー風の雰囲気といい、とにかく全身全霊で「1920〜1940年代」風シンガーを演じきったクリスティーナ・アギレラの情熱とパワーは、すごいとしか言い様がない。
全曲、手抜きなく創りあげられたといった感じのするクリスティーナ・アギレラの一大コンセプトアルバム、大作だ。


テーマ:洋楽 - ジャンル:音楽