![]() | ララバイSINGER 中島みゆき (2006/11/22) ヤマハミュージックコミュニケーションズ この商品の詳細を見る |
曲目
1桜らららら
2ただ・愛のためにだけ
3宙船(そらふね)
4あのさよならにさよならを
5Clavis-鍵-
6水
7あなたでなければ
8五月の陽ざし
9とろ
10 お月さまほしい
11 重き荷を負いて
12 ララバイSinger
今死んでは困る女性(ひと)
先日のZARDの坂井泉水の突然の死亡にはずいぶんと驚いたものだが、それ以上に驚いたのは、彼女の死に対する熱狂的なファンたちの姿だった。
ああいった光景を目にすると、現代人にとっての歌手というものの存在の大きさをあらためて感じてしまう。
現代の人たち、特に若い人たちにとって、ポピュラーミュージックの世界で活躍する現代のミュージシャンというのは、もう生きるためには欠かせないような大きな存在になっていて、その存在感というのは、ある面では親や兄弟をも超えたものになっている。
自分の好きな歌手の歌を毎日聴いていなければ、「生きていけない」とか、「学校へ行けない」とか、「会社で頑張ることができない」くらいの感じがある。
つまりポピュラーミュージックというのは、現代人にとっての一種のセラピーであり、それゆえ、そういった存在である自分の好きな歌手の死を迎えた時のショックは想像以上に大きい。
私にとってそういった存在にいちばん近いミュージシャンは誰なのかと考えると、海外の人ではプリンスがまず第一に挙がるのはしょうがないが、それでは、日本人では誰かと考えると、おそらく中島みゆきがいちばんにくるのではないか。
井上陽水も同じくらいそういった存在だが、歌詞のひとつひとつに対する「思い入れ」とか「想い出」という意味では中島みゆきの方が自分にとって大きな存在だ。
中島みゆきが今死んだら、自分はどれだけ落胆するだろう、どれだけさみしいだろうか。
私は「乱聴」というぐらいだから、ほかにも好きなミュージシャンはたくさんいるが、今死んでいちばん悲しいのは、やっぱり中島みゆきなのかもしれない。
彼女の歌は、つらい時、悲しい時、さみしい時、落ち込んだ時、泣いた時、疲れきった時、いつでもいちばん近くにいてくれた気がする。
いくら洋楽が好きな自分でも、やはり日本語がダイレクトに耳に入ってくる彼女の歌の力というのはすごい。
彼女の歌というのは、やや陳腐な表現とは思うがやっぱり「人生の応援歌」という感じで、その歌のおかげで、もう少し頑張ってみようという気にさせてくれる。
この今度の新作にも「お前の手で漕いでゆけ」と歌う#3や、まるでビートルズの「Carry That Weight」の日本語版のような#11といった力強い応援歌もあるが、優しい雰囲気の#10のような慰めの歌や久しぶりに笑える#9のような歌もあって、いかにも中島みゆきらしく様々な要素の曲が揃っている。
また注目すべきは70年代フォークのような#1から#2へのメドレーと、中島みゆきの最初のヒット曲「あざみ嬢のララバイ」を連想させるラストの#12で、久しぶりに原点に戻ったような雰囲気だ。
それにしても最近の中島みゆき、この新作のジャケット写真もそうだが、まるで天女のような雰囲気になってきた。
少し例えは違うが、最近のボブ・ディランの姿がまるでソクラテスかプラトンかといった哲学者、哲人のような何か常人とは違って見えるのと同じように、最近の中島みゆきは、羽衣をまとった天女のような、ちょっとこの世と違う場所の人のように見えるのには驚く。


ここのところ中島みゆきばかりになっているのは、実は、家の近所の図書館のCDがなぜか中島みゆきのラインナップばかりが豊富だからである。
とはいえ、近年の中島みゆきのアルバムはどれもずっしりとした聴きごたえのある内容のものが多いため、つい次々と借りて聴いてしまうのだ。
このアルバムは、他人に提供した曲を自分で歌うという、いわゆるセルフカバーアルバム。
この手のアルバムは何年かごとに中島みゆきはリリースしてきていて、そのどれもが傑作だ。
今までアイドルとか他人が歌っていた歌を、中島みゆき本人が歌うと、「ああ、この歌はこういう歌だったのか。」と気が付くのだ。
ぜんぜん説得力、訴求力、表現力といったものが、ほかの歌手とは違う。
彼女は、曲ごとにかなり歌い方を変えて歌っていて、まるで別人格の人間になれるかのようだ。
作家として凄いことは言うまでもないが、中島みゆきはヴォーカリストとしても、世界に誇れるような才能だ。
このアルバムの曲も、一曲ごとに歌声を変幻自在に変え、まるで演じるように歌っているところがすごい。
ただ、その演じ方が、聴き手が「やり過ぎだ」と感じるかどうかは、個人差があるだろう。

中島みゆきが嫌いな人は、あまりにその詩が、自分の心に入ってくるので、それが重苦しく感じたり、ひつこく感じて、耐えられなくなるという人が多い。
私もどちらかというと、感情が入り過ぎていたり、あまり熱唱し過ぎているような、いわゆる「ひつこい」歌は嫌いなほうなので、それゆえに中島みゆきの歌の中には、何よりもすごく好きな歌があるかわりに、どうにもつらくて聴けないという歌も多々あるのだ。
このさじ加減というものが、彼女の膨大な歌には様々な濃さになっていて、アルバム単位でも、その濃さが色々だ。
このアルバムはそういった意味では、タイトルからして「濃い」方のアルバムで、個々の曲もややひつこい感じの曲が多いので、そう簡単には聴かせてくれない。
しかし、あの年齢にして、まだまだこれだけ濃い歌が書ける中島みゆきのパワー、情熱は恐るべきだ。

中島みゆきは、昔は徹底して「ふられた女」の歌ばかりを歌っていた印象があったが、最近のみゆきは、このDVDにも収録されている「地上の星」に代表されるような、もっと幅広い「人間たち」の歌を歌うようになった。
スケールが大きくなったし、歌声も驚くほど力強くなった。
しかし、昔から一貫しているのは、その対象が「ふられ女」だろうと「リストラされたおじさん」だろうと誰であろうと、歌を使って、そういった必死で生きる人間たちにエールを送り続けているという点だ。
中島みゆきは、つくづく不思議な女性だ。
彼女の歌を聴いていると、どうしてこんな詞が書けるのか、と、どきっとする事が多い。
どうして、中島みゆきに、自分の心情、つまり私のような一中年男性・庶民の気持ちが分かるのだろう、と思うのだ。
こんな歌詞は、実経験なしで、想像だけで書けるものなのだろうか?
中島みゆきのような若い頃からスターだったような人が、この歌のような人生経験をしているとは思えないし…。
だが、体験もまったく無くて、こんな歌詞が書けるものな里?
そのあたりが、中島みゆきの最大のミステリーだ。
私は、このライヴは先にCDで聴いていて、あまりに素晴らしいのでDVDを購入したのだが、CDで聴いた時に感じた激しいロック調の歌いっぷりからして想像していたのとは裏はらに、DVDで観た中島みゆきは、意外なほどニコニコとした笑顔で歌っていたのには驚いた。
しかし、それでいてヴォーカルは、言わば「どす」が効いていてパワフルなところがスゴい。
昔の「中島みゆき」=「暗い」というイメージは今はまったく無い。
というわけで、このDVDは、中島みゆきの作家としてのスゴサとヴォーカリストとしてのスゴさが同時に味わえる貴重な作品になっている。
おまけに、意外なほど中島みゆきが美しい女性だということも実感できるはず。


