![]() | レイジング・サンド (2007/11/07) ロバート・プラント&アリソン・クラウス 商品詳細を見る |
このアルバムはひじょうにイイ。
すごく気持ちいい。
なんでこんなにいいんだろう。
ロバート・プラントは言わずと知れた元レッド・ツェッペリンのリード・ヴォーカリスト。
アリソン・クラウスはカントリー/ブルーグラス界では有名な女性ボーカリスト。
以前にこのブログで何度か書いているが、私には残念ながらレッド・ツェッペリンを理解できる耳がなくて、それゆえロバート・プラントのツェッペリン在籍時のヴォーカルに夢中になったという体験がない。
ツェッペリンの音楽はどうしてだか分からないがどうも自分の生理に合わなくて、何曲彼らの名曲を聴いたところで、どうも自分のアンテナと同期をしないのだ。
ツェッペリンと同列にするのはどうかと思うが、自分にはディープ・パープルとかエアロスミスとかビーチボーイズとかザ・フーとか、最近ではコールドプレイとかもそうだが、一般的に評価の高いグループでもぜんぜん自分にはピンとこないグループというのがけっこうあって、レッド・ツェッペリンはその中でも大物中の大物なので、いつか理解しようとは思ってきたのだが、どうしても自分の中では夢中になれるものが無いまま今まで来てしまった。
ところが、どういうわけか私には、レッド・ツェッペリン解散後のロバート・プラントの声にとことん惚れてしまった曲があった。
それがハニードリッパーズの「Sea of Love」だった。
ハニードリッパーズはロバート・プラントがソロになってから手掛けた裏プロジェクトというか余り技のようなプロジェクトで、オールドスタイルでムーディーな曲ばかりを集めたアルバムを1枚だけ発表している。
たしか、たった5曲くらいしか入っていないミニアルバムだったが、その中の「Sea of Love」という曲が私にはたまらなくて、しびれてしまった。
この曲でのロバート・プラントの暖かみがあって、スケールの大きくて、色気のあるボーカルが忘れられなかった。
その素晴らしいボーカルに、このアルバムの中でまた出逢うことができた。
T・ボーン・バーネットのプロデュースのもと、R&B、フォーク、カントリー等の楽曲を、息の合った二人のボーカルで最後まで飽きることなく聴かせてくれる。
演奏もボーカルもすごく自然でさりげなくて、深みもあって、これはグラミー賞受賞もうなづける大人の魅力の名盤。
![]() | マジック (2007/10/24) ブルース・スプリングスティーン 商品詳細を見る |
「ボス」ことブルース・スプリングススティーンは日本でもたいへんに人気の高いアーティストで、日本のミュージシャンの中でも佐野元春や長渕剛などを筆頭に、まるごと影響を受けた(というか私にはパクリにしか見えないんですけど…)としか思えない人たちがたくさんいる。
彼のこれほどまでの日本での人気のワケというのは、要するに日本人にとって分かりすいかっこよさを彼が持っているということだ。
彼の音楽スタイルはある一面、ロックンロールを基調にしたひじょうに分かりやすい単純さを持った音楽だ。
彼の代表作である「ボーン・トゥ・ラン」や「ボーン・イン・ザ・USA」などは英語の分からない私たち日本人が聴いても一発でかっこいいと感じるような音楽なので、そのブルースの表面上のかっこよさのみに魅入られて、彼のコピーをしたり影響を受けている日本人のミュージシャンはたくさんいる。
しかしながら、じつは彼の音楽の本質というのは、そういった単純なかっこいいロックンローラースタイルのみを追ったものではなく、むしろボブ・ディランのスタイルに近いシンガーソングライターの面の方が強い。
彼のそれほど大ヒットをしていないアルバムの「ネブラスカ」や「トンネル・オブ・ラブ」などは、ただブルースの表面的なかっこよさに惹かれてファンになったような日本人には、本音ではきっとつまらないと思っていることに違いない。
私は洋楽のアルバムを買う時、あまり余計なお金を使いたくないと思う方なので、あまりアメリカでヒットしていないものは買わないようにしている。
かといって、売れているものなら何でも買うわけでもなくて、たとえばレッド・ツェッペリンがどんなに売れていようとも、今のところ自分があまりいいと感じていないから今だに一枚も持っていないし、コールドプレイみたいにどんなに評価が高くても、自分が聴いて気持ち悪いと感じる限り買わない。
ブルース・スプリングスティーンもじつは私は昔からあまり好きではないというか、苦手なタイプのアーティストだった。
私はどうしてもああいった男の汗が飛び散るようなタイプのアーティストというのが昔から好きになれない。
歌がちゃんと歌えて高い声もちゃんと出て、繊細に歌えるような人じゃないと好きになれなかった。
だからブルース・スプリングスティーンのような歌い方というのが嫌で嫌で仕方なかった。
当然、だから彼のアルバムなど一枚も持っていなかったし、買おうと思ったこともなかった。
ただ、ロックンローラーで70〜80年代に活躍したボブ・シーガーのようなシンガーは好きで昔よく聴いていた。
ボブ・シーガーは本物のロックンローラーでまさに汗臭い感じのシンガーであったが、
私が聴き始めた頃には少し枯れた味わいになっていて、そこが好きだった。
このアルバムでのブルース・スプリングスティーンは枯れたとまでは言わないが、何かかつての彼の熱さ、私がちょっと引いてしまっていたあの感じよりは、さっぱりとした味わいがあって、良い感じがしたので、初めて彼のアルバムを買うことにした。
ぎらぎらとした若い男の油ぎった感じがなくなって、大人の男の大きい心と言ったらいいのだろうか、そんな優しさに満ちた、しかし厳しい社会批判などもある、じつに大人の作品になっているのだ。
どの曲もメロディーが美しくて感動的な曲が多く、あらためてブルースの作曲能力の凄さを感じる。
最近、こういう美しい雰囲気を持ったアルバムは久しぶりのような気がする。
私はずいぶん久しぶりに洋楽を聴いて泣いた。
#6の「ガールズ・イン・ゼア・サマー・クローズ」。
どうしてだろう。
この曲の空気感、色彩が私は好きだ。
![]() | Low (1999/09/28) David Bowie 商品詳細を見る |
デヴィッド・ボウイは自分にとって長い間、謎のアーティストだった。
このアルバムを発表したくらいの頃に彼は日本に来日し、コンサートを行っている。
その模様は日本のテレビ(たしかNHKの「ヤングミュージックショー」だったか)でも放映がされた。
私はその頃まだそれほど洋楽にのめりこんでいた時期ではなかったのだが、デヴィッド・ボウイという名前くらいは知っていて、興味を持ってその番組をしっかりと観たのを憶えている。
そして、その映像を観て、すごく失望したことも憶えている。
当時の自分にとって、彼の音楽、曲、ステージ、ヴォーカル、スタイル、とにかくすべてが理解不能のシロモノであった。
曲はどの曲ものれない感じの曲ばかりだし、ヴォーカルもなんだか声が低くて気持ち悪い。
顔もすきっ歯で、とてもかっこいいとは思えなかった。
そんな自分であったが、今この2008年にこのアルバムのひとつひとつの曲を聴くと、なんとも面白く感じるのだ。
1曲目からいきなりインストゥルメンタルだし、アルバムの後半もほとんど歌なし。
その構成にも驚かされるが、特にヴォーカル付きの曲の数々は今聴いても、どれもほんとにスゴイ曲ばかり。
どの曲も、斬新でユニークで、新しくて、かっこよくて、しかも変てこ。
R&BとかR&Rとかソウルとかカントリーとか、そういった今までにあった音楽の要素が、このボウイの数曲からは容易に見つけだすことが出来ないような摩訶不思議な曲ばかりだ。
アルバムでは初期の「ジギー・スターダスト」が有名なボウイだが、ほんとうに作曲の面でスゴ味を増してゆくのは、このアルバムあたりからではないだろうか。

5月10日、渋谷のタワーレコードでピーター・バラカンの「魂(ソウル)のゆくえ」という本の出版記念のトーク&サイン会に行ってきた。
私の大好きなソウル・ミュージックの歴史や様々な名盤を紹介したこの本は前から欲しかったので、私はちょうどサイン会があるこの日にタワレコに行って買うことにした。
トークは、この本の中からファンクの部分を音(曲)付きで解説したようなトーク会で、大きいスピーカーでJBの曲なんかが聴けて、なかなか楽しかった。
ピーター・バラカンという人は私は今みたいにテレビに出るようになる前からよく知っていた音楽評論家で、昔ははっきりいって、あまり好きではない評論家の一人だった。
何か意固地になってメジャーな曲をいつもけなしているような評論家のイメージを受けていたし、何よりも自分の好みでない音楽に対してはすごく冷たい生意気な印象を受けたのだ。
しかし、私がバラカン氏の存在を知って以来かなりの時が流れた今になってみると、私の音楽の知識も、聴いてきた音楽の量も格段に増えたせいか、彼の意見があまり気に障らなくなってきた。
彼の薦める音楽も不思議と分かるようになってきた。
彼の膨大な音楽知識の中から厳選して私たちにFMなどで薦めて紹介してくれる音楽というのは、どれも本物の音楽ばかりだということに気が付く。
つまり、彼の薦める音楽というのはソウル(魂)のある音楽にほかならない。

私は買った本にサインをもらう時、バラカン氏に「いつもNHK-FM聴いてます。」と言うと「ありがとうございます。」とひとこと。
私「なるべく長く続けてください。」と言うと、バラカン氏「ぼくもそうするつもりです。」と、いかにも彼らしい返事がもらえ、私とバラカン氏は固く握手。
握手の時、にっこりと笑うバラカン氏の顔は、昔、自分が抱いていた「生意気な」音楽評論家のイメージとはまったく違っていた。
![]() | 魂(ソウル)のゆくえ (2008/04/12) ピーター・バラカン 商品詳細を見る |

ものすごい迫力のライブでした。
現代の音楽シーンでここまでばりばりに力いっぱい歌う白人女性シンガーって、ほかにいるだろうか。
というか、ここまで力いっぱい歌う白人女性シンガーって、今までにいただろうか。
今、私はジャニス・ジョプリンくらいしか思い浮かばないのだが、この二人はまったくタイプが違っている。
ジャニスのヴォーカルは彼女自身の人生からにじみ出るようなR&Bあるいはブルースの精神が宿っていて、一種病的なほど凝縮されたどろどろとした情念のようなものが感じられるものだった。
それに対してアギレラのヴォーカルはスタイルとしてはジャニス以上に忠実なR&Bのヴォーカル唱法だが、まったくその歌には病的なところが感じられない。
むしろ健康的でヘルシーだ。
かつての黒人の女性ヴォーカルで探せば、(アイク&)ティナ・ターナーあたりがいちばん近いのかもしれない。
このライブでのソウル・レビューを思わせるようなたたみかけるようなスピード感と、どこまでも届きそうなパワフルなヴォーカルは今までの白人女性ヴォーカルのステージでは決して観たことがないようなものだ。
そのあまりの迫力に、観客なんかほったらかしにされているようにさえ感じることもある。
こういうライヴというのは、そういえば昔のドナ・サマーの絶頂期のライヴなんかがこんな感じだったのを憶えている。
あまりに声がよく出過ぎてしまう。
あまりに演奏が切れ過ぎて、ものすごいスピードになってしまう。
とにかく、まわりの空気から何からすべてを切り裂いていってしまうような迫力。
観客はその切れ過ぎる音についていくのでせいいっぱいになる。
今のアギレラは、とにかく何から何まですごい。
名曲がどんどん出来てしまうし、声がどこまでも出てしまう。
美貌もどんどん増してきている。
そのまばゆいばかりの若さと美しさですべてを吹き飛ばしてしまうくらいの迫力だ。
このオーストラリアでのステージもオープニングから最後まで息つく間もないくらいのパワフルな力技で押し通している。
この現代のアギレラのステージ、たしかに素晴らしいが、ただひとつ私が感じたのは、最近のアギレラの歌というのは彼女の年齢にしては少し成熟し過ぎたものが多すぎやしないか、という点。
デビューシングルの「ジニー・イン・ア・ボトル」のような等身大の歌があまりなくなってしまったような感じもしているのだ。
もちろん今の若さあふれるパワフルなヴォーカルもいいが、私は彼女が40歳くらいになってからのヴォーカルが楽しみでならない。
今、彼女が歌っている曲というのは40くらいの少し貫禄のある女性ヴォーカリストが歌ったらいちばんぴったりくる。
アギレラが40くらいになってから歌う「レディ・ママレード」は絶対に今よりもいいに違いないと思ってしまうのだ。





